放浪の人生
現在の住まいからの景色です。
目の前に田圃があり、藤井正雄記念病院が見えます。
私は生まれが愛媛県の砥部町
父親が製陶所を経営していて
3歳の時、そこが潰れて母に連れられて東京の板橋にいたと聞いています。
父はその後、富士製鉄の関連会社で働いていました。
兵庫県に社宅があり、そこで幼少期を過ごし
父が名古屋に転勤になったので名古屋へ
5~6歳位でまた、兵庫の社宅へ
そして小学校5年生の時北九州へ
鳥取大学を受験して
4年のはずの鳥取生活が45年になってしまいました。
鳥取県庁に入り、転勤で鳥取県南西部の日野町へ
そこで知り合った奥さんと結婚して米子勤務となり
出雲の彼女の官舎から米子までJR通勤して長女を授かり
5年後県庁勤務を命ぜられて鳥取市へ
長男を授かりました。
1年後奥さんが勤めていた島根医科大学を退職して
倉吉でアパートを借りて倉吉に住み始め、
7年後今の借家に移り住みました。
引っ越しは鳥取に来るまでに10回
鳥取に来てから8回
18回も引っ越しをしています。
ここも借家で相当古くなっています。
後2年で新たな住まいを探して引っ越そうと思っています。
いつまで続くのかこの放浪生活。
家を建てない人生を選んだので
どうなることやら?
まだまだ放浪生活が続くような気もします。
いい加減落ち着きたいのですが
諸般の事情もあり
老人ホームに入るまで続くかもしれません。
そんな放浪の人生を送っております。
