ロシア将校埋葬の顕彰碑
日本海海戦の結果、多くのロシア艦が沈没し、
乗艦していたロシア海兵達は艦と共に海に沈んだ者の他は、海中に逃れました。
その多くが日本軍の捕虜となりましたが、海で力尽きてしまう者も多数あり、
記録では鳥取県の海岸に7人のロシア兵の遺体が漂着しています。
そのうちの2体が浦富海岸に漂着し、引き上げた浦富の方々が
敵兵であるが亡くなって仏になったんだからと丁重にこの地に葬ったとの故事があります。
太平洋戦争の後、ロシアとの国交が回復し、
遺族が来日して墓を掘って遺骨を故国に持ち帰ったそうです。
この碑は初代国連大使を勤めた地元出身の外交官澤田廉三氏が
私費で昭和37年に建立したものです。
ロシア兵は日本海沿い11県に漂着し、
鳥取県には7体(もっと多いかもしれません)、
境港市、大山町、岩美町に漂着、漂流しているところを回収・埋葬されました。