山好きオヤジの独り言

山の思い出や日々の事を書き留めています。

下関戦争

本日は、住宅デー、指定自動車教習の日、天覧試合の日、サザンの日になっています。


出来事で興味の湧いたのが1863年の下関戦争です。


孝明天皇の強い要望により将軍徳川家茂は、1863年6月25日をもっての攘夷実行を約束したことにより、長州藩が馬関海峡を封鎖し、航行中のアメリカ・フランス・オランダ艦船を無通告で砲撃しています。


約半月後、報復としてアメリカ・フランス軍艦が馬関海峡内に停泊中の長州軍艦を砲撃し、長州海軍に壊滅的打撃を与えた。しかし、長州は砲台を修復した上、対岸の小倉藩領の一部をも占領して新たな砲台を築き、海峡封鎖を続行しています。


翌年、海峡封鎖で多大な経済的損失を受けていたイギリスは長州に対して懲戒的報復措置をとることを決定しました。


フランス・オランダ・アメリカの三国に参加を呼びかけ、艦船17隻で連合艦隊を編成し、8月5日から7日にかけて馬関(現下関市中心部)と彦島の砲台を徹底的に砲撃、各国の陸戦隊がこれらを占拠・破壊しました。


戦闘で惨敗を喫した長州藩は講和使節の使者に高杉晋作を任じて講和を結んでいます。


内容は下関海峡の外国船の通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸の許可、下関砲台の撤去、賠償金300万ドルの支払いの5条件でした。


ただし、賠償金については長州藩ではなく幕府に請求することになった。
今回の外国船への攻撃は幕府が朝廷に約束し諸藩に通達した命令に従ったまでという名目でした。


賠償金は幕府が150万ドルを支払い、明治維新後に新政府が残額を明治7年までに分割で支払っています。


明治16年にアメリカ大統領は不当に受領した下関賠償金78万ドル余を日本への返還しています。


これは講和自体が政府が締結したものでは無く、弱小日本に対する威圧によって得たいわば不当なものであるという理由でした。


アメリカは、良いに付け悪しきに付け、公平な国なんですね。


その他、1950年朝鮮戦争が勃発しています。


本日はダウの大幅な暴落、日本株も下がるのでしょう。


めげずに頑張っていきましょう。

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