三国志と中国の人口崩壊の歴史
本日はこれを書きたい。
本日の出来事を見ると208年、赤壁の戦いがあります。
孫権・劉備連合軍が曹操の船団を打ち破っています。
魏呉蜀の三国が鼎立した三国志の時代です。
三国志を読み物として読めば面白いのですが
広島大学の加藤先生の「中国の人口の歴史解説」によれば
約6千万人が1.6千万人に激減した悲惨な時代でした。
加藤先生は以下のように解説しています
1 建国期
人口が急速に増加し、太平の世になる
2 繁栄期
税収が増え、大規模な土木工事や領土拡張など積極的な政策を進める。
民の負担が増え、生活が悪化する。
儒教思想による兄弟での均等相続により1人当たりの耕作地が減少する。
3 衰退期
建国後おおむね十世代ほどで一人あたりの食糧供給量が飢餓ラインに近づく
社会不安が広まり、農民反乱が頻発
4 交代期
地方政権・地方軍閥が半独立状態となり、戦乱が起こり、王朝は滅亡する
人民の大量死亡と出生率の激減の結果、人口崩壊が起こる
人口は減少して適正ラインにまで下がる
一つの王朝の寿命は十世代三百年を越えて存続することは難しく
農民反乱グループ・軍閥・異民族集団による新王朝が建国されます
悲惨ですね。
特に戦乱となると食べ物を求めて、反乱グループが他の地域を侵略し、
工作物はおろか家畜も奪い
何も残らない
魏の曹操が強かったのは最も残酷であったからで
曹操軍の行軍した後は本当に何も残らなかったと言われています。
日本ではこんな事は無かったですね。
天皇陛下は古来、人民の暮らしを憂い
戦もありましたが、武家同士の争いが主で
悲惨な事もありましたが
一応の秩序が有ったかと思います
島国で土地が限られているので相続による土地の細分化も起こりませんでした。
それにしても中国共産党王朝はいつまで続くんでしょうか?
さて、本日は観光バス記念日になっています。
1925年の本日、東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである「ユーランバス」の運行が開始されました。
皇居前~銀座~上野のコースであったようです。
出来事です。
1549年、竹千代(徳川家康)が今川義元への人質として駿府へ出立しました。
1557年、毛利元就が息子3人へ14箇条の遺訓を記す。
1本の矢は簡単に折れるが3本なら折れないと兄弟3人の協力を促しています。
1872年、太政官布告第342号で神武天皇即位紀元を制定、今年は皇紀2681年になります。
1901年、官営鉄道(国鉄)が東海道本線の急行2往復に食堂車を連結しました。
1902年、篠ノ井線が全通、スイッチバックがあった記憶があります。
1906年、年賀郵便の取り扱いを開始、15-25日に投函すれば元旦に配達されます。
1935年、松下電器産業(パナソニック)株式会社が設立されました。
1939年 、アトランタで映画『風と共に去りぬ』が初公開されました。
1954年、 C62形蒸気機関車が最高速度129km/hを記録、凄いですね!
1959年、ラジオ山陰(現・山陰放送)テレビジョン放送の開局、お世話になっています。
1961年、イスラエル特別法廷が、ナチスのユダヤ人虐殺の責任者だったアドルフ・アイヒマンに対し死刑判決を下しました。
アルゼンチンに潜伏していたアイヒマンはイスラエルに拉致され、裁判にかけられ、死刑判決を受け、翌年6月1日に絞首刑に処せられました。
イスラエルで執行された唯一の死刑で、遺体は焼却され、遺灰は地中海に撒かれました。
1963年、12月8日に暴力団に腹部を刺された力道山が死去しました。
1978年、カーター大統領が、アメリカが中華人民共和国を承認し、中華民国と断交することを表明しました。
1994年、日本で、住民票の「嫡出子・非嫡出子」の表記を「子」に統一されました。
2010年、絶滅したとされていた魚「クニマス」の再発見が確認されました。
本日は曇りのち晴れの予報。
林道に検査に行ってきます。
本日も良い日になるように頑張りましょう!