戦後インドにあったポルトガルの植民地
本日はこれを書きたい。
1961年の本日、インド軍がダマン・ディーウを占領して、ポルトガル領インド全土がインドに併合されたとあります。
インドはヨーロッパ各国が軍事力を背景に沿岸部に貿易拠点を置く形で植民地化が進められ、最後はイギリスがイギリス領のインド帝国として大部分を植民地化しています。
1510年、ポルトガルがゴアに拠点を置いています。
1620年、デンマークがトランケバルに進出。
1663年、オランダがコーチンに進出した。
1673年、フランスがポンディシェリに進出。
オランダ領は1825年、デンマーク領は1869年まで存続し
1947年にインドがイギリスから独立した時にはフランス領とポルトガル領が残っていました。
フランス領は1954年にインドに返還されています。
インドに残っている植民地はポルトガル領のみとなり、インドは領土保有を断念して欲しいとポルトガルに依頼をしますが拒絶されています。
1955年、非暴力で領土返還を求めるデモ隊にポルトガルの警察が発砲し、死者20人以上、負傷者500人近くを出す惨事が起きています。
ポルトガル統治に対する反感が高まり、インド政府を動かしました。
1961年12月15日、インド政府はポルトガル政府に対して「インドにある三ヶ所のポルトガル領(ゴア・ディウ・ダマン)をただちに放棄せよ」との覚書を提出しました。
12月18日午前0時半、インド軍はゴア以下の三ヶ所に侵攻を開始しました。
ポルトガルの首相は、国民に向けて、インドはゴアを侵略しようとしている、ポルトガル軍は自衛的行動をとると発表。
インド海軍は陸海空から猛攻撃、ポルトガル総督とその家族はパキスタンに逃れ、ゴアはあっけなく陥落しました。
ディウ、ダマンもインド軍に接収され、ポルトガルの451年にわたる植民地支配は終わりを告げましたた。
これに対してアメリカとイギリスが国連安保理で非難決議案を提出。
ソ連の拒否権により採択されませんでしたが、多くの国は植民地独立の一つとして支持していました。
人民自決の原則に乗っ取れば、その地域の住民の意思によるんでしょう。
今でもフォークランド諸島、ジブラルタルなどの多くの植民地が残っています。
多くは港湾都市や貿易の中継地である島嶼地域で、領有するイギリス等がそこの住民の多数は現状維持を支持しているため、返還を求める国と対立しています。
香港もサッチャーが鄧小平の軍事力を使うとの脅しに怯んで返還しました。
植民地は死語では無く、残っています。
今後はどうなっていくのでしょうか?
さて、本日は国際南南協力デー、日本人初飛行の日等になっています。
国際南南協力デー
2004年の国連総会で制定す。
1978年の本日、国連総会で「南南協力」(途上国相互の協力)を盛り込んだ「ブエノスアイレス行動計画」が承認された。
日本人初飛行の日
1910年の本日、東京・代々木錬兵場で徳川好敏工兵大尉が日本初飛行に成功しました。
飛行時間は4分、最高高度は70m、飛行距離は3000mでした。
5日前の14日に飛行にも成功していたが、公式の飛行実施予定日ではなかったため「滑走の余勢で誤って離陸」と報告されています。
出来事です。
1614年、大坂冬の陣、木津川口の戦いで豊臣方と徳川方が戦闘状態に突入しました。
1843年、チャールズ・ディケンズ作『クリスマス・キャロル』が出版されました。
1909年 - ドイツのサッカークラブ、ボルシア・ドルトムントが創設されました。
1944年、フランスの夕刊紙『ル・モンド』が創刊されました。
1955年、原子力基本法が公布されました。
1966年、国連総会で宇宙条約が採択されました。
1968年、第9次越冬隊が日本人として初めて南極点に到達しました。
1984年、イギリスと中華人民共和国が1997年の香港返還合意文書に調印しました。
1986年、「老人福祉法」が改正され、医療費の自己負担引き上げなどが行われました。
1988年、JR九州の門司港駅舎が国の重要文化財に指定されました。
1988年、北海道の十勝岳が26年ぶりに噴火しました。
1995年、東京高裁がオウム真理教の解散を命じた東京地裁決定を支持、同教団の解散が決定しました。
1998年、米下院がビル・クリントン大統領の不倫もみ消し疑惑で弾劾訴追を可決しました。
2004年、ディープインパクトが阪神競馬場第5レースでデビューして初勝利しました。
本日は曇り時々雪か雨、と言いながら今晴れ間が出ています。
変わりやすい山陰の天気、弁当を忘れても傘を忘れるなと言われています。
寒気が収まり、穏やかな天気になっていくんでしょう。
穏やかな日曜日をゆっくり過ごしたいですね!