荒木又右衛門の墓所
鍵屋の辻の決闘での活躍で有名な荒木又右衛門
鳥取で亡くなり、鳥取市内に墓所がある
鍵屋の辻の決闘
男色のもつれから発生したろくでもない話ですが
3大仇討ちの1つと言われています
荒木又右エ門は新陰流の剣客で
剣術指南として大和郡山藩で250石に取り立てられていました。
お気に入りの小姓を殺された岡山藩の殿様から
仇討ちを命じられた渡辺数馬は剣術が未熟であり
義兄である荒木又右エ門に助太刀を要請
又右エ門は郡山藩を退身
見事に仇討ちを果たしています
岡山藩は鳥取に転封になり
仇討の4年後の8月12日、
渡辺数馬や荒木又右エ門は鳥取に凱旋しています。
ところが半月後の8月28日、又右エ門は急死しています。
毒殺されたとも、死んだことにして身を隠したとも諸説あるようです。
ともかく鳥取市内の玄忠寺に墓所があります。
この仇討ち、小牧・長久手の戦いで
岡山・鳥取両藩の池田氏の祖、池田恒興が
旗本安藤家の祖に刺殺されたことに始まる因縁があり
玄忠寺にある記念館には様々な資料が展示されていました。
鳥取にお越しの際は是非立ち寄ってください!


