爆薬を使った植林
明治初期の日本はハゲ山だらけで、下の写真は明治期の六甲山です。
花崗岩の白い山肌が剥き出しの状態です。
こういうところは日本各地で見られました。
昔は燃料は薪しかないので山の木を伐ってしまったんです。
伐って生えてきた木も伐ってしまい、
草原になったものも牛の餌にするために刈り取ったので
段々と禿げ山になってしまったんですね。
日々の燃料、塩田や焼き物など大量の薪が必要なところは禿げ山が多かったんですね。
そこに明治期から木を植えて来たんですが、
堅い花崗岩の場合は植えれないのでアンモン爆薬で穴を穿ち、
客土して植えたと大学の講義で聞きました。
土曜日に歩いた浦富アルプスは全山が土砂崩壊防備保安林、
もしくは土砂流出防備保安林に指定されている花崗岩の岩山で、
六甲山なんかと同様に治山事業で木を植えたと思われます。
アンモン爆薬を使ったかどうかは定かではありませんが、
かなり堅そうな岩質なので使ったのだと思います。
昔は松山だったのがマツクイ虫でかれてしまって、松と広葉樹の若い林になっています。

