山好きオヤジの独り言

山の思い出や日々の事を書き留めています。

大山口列車空襲

本日、7月28日は1945年に大山口列車空襲があった日です。


鳥取県は、田舎なので他の都市のようなB29による大規模な空襲被害は無かったのですが7月23日から28日まで米軍の艦載機による空襲を受けています。


特に県西部には美保飛行場などの軍用基地があったので空襲を受けました。


その中で最も被害が大きかったのが大山口列車空襲です。


鳥取発出雲行き客車11両編成で1200人が乗車していました。


午前7時15分に大山口駅に着くと米軍の海軍機が上空を旋回しており、駅の東側600mにある切り通しに退避しました。


その後、駅に戻り約400人を降ろしたが、再度海軍機40機が飛来して切り通しに退避させました。


その直後に海軍機3機から機銃掃射とロケット弾による攻撃を約30分間受けました。


 死者44名、負傷者31名以上という犠牲を出しました。
(この数字は日本人だけのもので朝鮮人も含めるともっと多いとの記事もあります。)


また、近隣の集落も被災し、全半焼3戸と記録されています。


大山口駅には慰霊塔があり、近年まで被災した機関車が置いてありました。


残念ながら機関車は老朽化により撤去されましたが、切り通しのコンクリートには銃弾の痕が生々しく残っているそうです。


山陰海軍航空隊美保飛行場、米子駅、日本曹達米子工場、大篠津駅、弓ヶ浜駅などがこの時の海軍機による空襲で被災しています。


今はこんなことがあったとは信じられないくらい平和な日本です。


さて、本日は 菜っ葉の日、乱歩の日、なにわの日、世界肝炎デー、地名の日になっています。


出来事としては


1873年、地租改正が行われ年貢に代わり、地価の3%を地租として金納することになり、現金を持たない農民が税金が払えずに小作農になってしまいました。


私の知り合いに鳥取県西部の地主の子孫がいますが、米子駅から山奥の自宅まで人の土地を通らなくても帰れたと聞いています。


1945年、大山の空襲と同じ日にエンパイアステートビルにB-25爆撃機が激突して、乗員3人を含む14人が死亡する事故がありました。
爆弾は積んでいなかったんでしょうね。


同じ日、青森大空襲、呉軍港空襲があり、呉軍港に停泊していた日本海軍の多くの軍艦が大破し、このことがソ連の参戦を促してしまいました。


本日は朝から雨が降っています。


明後日には長かった梅雨も明けるようです。


また、暑い夏が来ると想うとうんざりしますが、晴天は良いものです。


熱中症に気を付けながら、夏を楽しみたいと想います。

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