山好きオヤジの独り言

山の思い出や日々の事を書き留めています。

島根県庁焼き討ち事件

本日の出来事を見ているとお隣の島根県でとんでもない事件が起きていました。


1945年、玉音放送によるポツダム宣言受託と連合国への降伏が発表され、東京で降伏に反対する尊攘同志会の会員らが愛宕山に篭城、全国に決起を呼びかけました。


島根県松江市でもこの愛宕山事件に呼応して、尊攘同志会会員であった岡崎功(当時25歳)を中心とした20歳前後の男女数十人が「皇国義勇軍」を名乗って武装蜂起しました。


各隊員が分担して県内の主要施設を襲撃し、島根県庁は焼き討ちされ、新聞社・発電所もその機能の一部が破壊されました。


事前の計画では、知事・検事正の暗殺も企図されていたが、足並みが揃わず失敗しています。


一味は各地を襲撃後、全国に決起呼びかけを行うため放送局に集結して放送局長に決起呼びかけ放送を要求。


放送局長が拒否して押し問答が続く間に警官・軍隊が放送局を包囲して、全員が検挙され鎮定されました。


島根県庁舎・県会議事堂延べ3000m2が全焼し、被害額は約192万円に上りました。


1946年(昭和21年)当時の県職員給与総額は103万円でしたのでその被害の大きさが解ります。


焼き討ちの際に住民1人が殺害され、貴重な書類等も多数焼失してしましました。


発電所も襲撃され、そのの影響で、松江市内は3時間半にわたり停電となりました。


新聞社も襲撃され、8月31日までタブロイド判での新聞発行を余儀なくされたようです。


大日本帝国憲法下での最後のクーデターと言われ、大審院で裁かれたの最後の事件となりました。


日本刀やダイナマイト、松江中学から持ち出した小銃で武装して、男子隊員はカーキ色の国防服、女子隊員はもんぺ姿の服装でほとんどが20歳前後の若者でした。


首謀者は無期懲役、6人が10年から2年6ヶ月の懲役、2名が猶予刑になりました。


その後、首謀者は恩赦で6年7ヶ月で出所して学校経営して理事長となり、生徒に他の類を見ない復古調の教育を行ったと言われています。


いやー、島根県、保守的な所ですがこんなことがあったんですね。

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