昭和基地は木造建築です
本日は、1957年に日本が南極に昭和基地を開設した日です。
子どもの頃、南極越冬隊の本を図書室で借りて読んでいました。
小さな観測船「宗谷」が流氷に閉ざされソ連の船「オビ」号に助けられたり、タロウとジロウの物語、強烈なブリザードで隊員が行方不明になったり、何冊も借りて食い入るように読んでいました。
話は変わりますが、昭和基地の建物はミサワホームの木製のプレハブで、第1回の観測隊の時は2~3日で建てられるように設計されていました。
第1次の越冬隊の時建てられた5棟のうち4棟は木製パネルの組立式で、居住棟、本屋棟、無電棟は12.44坪、観測棟は8.88坪)で、1棟はパイプ構造の発電棟は16.7坪でした。
この5棟に11人の隊員が越冬して観測しました。
外壁・屋根・床のパネルは厚さ10cm、桧の枠材の両側に樺材の合板を張り付け、間に断熱材として発泡スチロールを挟んでいます。
パネルの繋ぎ目は、雪風が入らないようにゴムを間に挟み、締め付け金具で簡単に組み立てられるようになっていました。
当時の建物は大型重機もないので犬ぞりで資材を運んで人力で建てられました。
今はかなり,充実した居住空間になっているようです。
(この画像もお借りしました。)
今も木製の建物です。
木材は断熱材としての効能もあります。
観測船も「宗谷」、「ふじ」、「しらせ」、「2代目しらせ」と大型のものになり、氷に閉ざされることも無くなりました。
本日は昭和基地開設記念日のほか、タウン情報の日、人口調査記念日などになっています。
1598年、慶長の役・蔚山城の戦い(一次)始まり、加藤清正らが苦しい籠城戦を戦いました。
1960年、アラビア石油がクウェート沖のカフジ油田を掘り当てました。
本日は強烈な冬型で雪は少ないものの強風が吹いています。
めげずに歩いて通勤します。
