鳥取城へ兵糧を運び入れた道を歩く
豊臣秀吉の鳥取城への兵糧攻めは有名です。
秀吉は鳥取城の前の三木城で兵糧攻めで
1年以上も係った反省から
あらかじめ米を破格の価格で買締めた上で
鳥取に攻め込み、周辺の村を襲い、領民が
鳥取城に逃げ込むようにしむけ、鳥取城を包囲します。
下の図のS字付近に丸山城があり、
兵糧の乏しい籠城軍は、Sの地点から尾根沿いに赤い線上を歩き
鳥取城に兵糧を運び入れていました。
今回、このルートを歩きました。
中々アップダウンのあるコース
ここを米俵を担いで運んだかと思うとその苦労が偲ばれます。
尾根の途中、櫓の跡なのか平坦地があります
丸山城と鳥取城の中間にあった雁金山城
激戦の末、秀吉軍に落とされ
僅かにあった兵糧の運搬がなくなり
鳥取城は餓死者が続出し、それを見た
城主吉川経家は、家臣の助命を条件に切腹・開城しました。
現在では平和祈念塔が立っています。
ここからが急登です。
おまけに滑りやすい砂混じりの道でした。
途中にはかつて久松山にあったロープウェイの遺構がありました。
頂上直下、こんな洞穴が2つ確認できました。
武器か兵糧を貯めていたものか?
頂上からは鳥取市の町並みが眺望できます。
頂上では青空の下、桜が満開でした。
距離10.2km
歩行時間3時間36分
本日はいささか疲れ気味です。








