鳥取城に兵糧を搬入したルートを歩く
鳥取城は秀吉による兵糧攻めで多くの餓死者を
出したことで有名です。
秀吉はまず、米商人を派遣し、破格の値段で米を買い占め
鳥取城周辺の米の備蓄を奪った後、
軍を派遣して、鳥取城近隣の集落を襲い
農民が鳥取城に逃げ込むように仕向け
城兵ほか4000名が立て籠もった鳥取城を囲みました。
一方、毛利方、下の地図の左上に丸山町とある北側の
ポツンとした山に丸山城があり
その側まで海から船で入れ、丸山城に兵糧を集積
そこから尾根沿いに鳥取城に兵糧を運び入れました。
犠牲の伴う攻城戦をなるべく避けたい秀吉軍ですが
この兵糧を止めるため、途中の雁金山にあった
雁金城を激戦の末に落とし、完全に外部との交渉を止めました。
以降、兵糧の供給が途絶え、鳥取城は飢餓に落ち入りました。
今回、この兵糧の搬入路を歩いて来ました。
鳥取城天守閣があった久松山頂上から
かつての兵糧搬入路があった尾根です。
尾根に白い塔が見えます。
かつての激戦地、雁金城跡に立つ平和祈念塔です。
途中、ロープウェイの遺構があります。
50年前は、頂上付近までロープウェイで行けました。
頂上直下にある洞穴
兵糧を備蓄していたのか、奥行きはかなりありそうでした。
頂上(鳥取城天守跡)からは遠く大山が眺望できました。
秋晴れのもと良い汗をかきました!






