威張って借金を申し込む(父親の思い出)
うちは父親のおかげで、物心が付いた頃から貧乏だったような気がします。
しかし、不思議なことに侘しいという思いはあんまりしませんでした。
小学生の頃、給食費の集金があるんですが、うちの父親はさも当たり前のように
「給料日の○日に払いますと先生に言いなさい。」と仰る。
子どもの自分はそんなものかと先生に言われた通りに言う。
給料日に1つ上の兄貴に給食費を2人分渡して、兄貴の先生に給食費を払うので、
お前の先生には兄貴の先生から給食費を貰えと仰る。
何とも、今になって思えば合理的と言うかなんとも。
先生も父子家庭なんだということも理解しているし、父親がインテリだし、
給食費を期日には払わないが給料日にはしっかりと払うので、
自分には変なことは言わなかったのかな?
大学生になって、父親の旧姓中学の同級生に会うことがあり、いろんな話を伺った。
その同級生は京大を出て一部上場企業の役員から子会社の社長をされておられ、
父親の焼物も沢山買っていただき、あんたのオヤジの壺の間で寝ているんだと仰っていた。
お前のオヤジが倒産して、給料が差し押さえられた時は自分も債権があるとして、
裁判所に行って陳述して助けてやったんだよ!
裁判官からはお前は友達だから結託しているんじゃないかと追求されたけど、
あいつに事業資金を貸して大損した、
少しでも回収したいと陳述したんだよと笑っておられた。
何せ、オヤジは威張って借金を申し込んでくるとも言われる。
父親は人望があったのか、愛されていたのか数多のひとに助けられたようです。
思えば、事業に失敗して財産を無くし、それどころか精算しても給料を差し押さえられて
貧乏な上に洟垂れ小僧3人を連れて、泣きたくなるような時もあったと思いますが、
子どもの前では一言も愚痴を言わなかったですね。
最近、よく父親の事を思い出す。
あの時、どう思っていたのかなと?
毎日、手料理してお酒を静かに飲んでいた父親。
また、一緒に酒を飲みたかったな!
歳をとったということでしょうか?
まあ、こういう日は熱燗を飲んで元気を出しましょう!
明日はきっとよい日になります。