夏至とヘリコプターの思い出
本日は夏至です。
昼間の時間が最も長くなる日です。
この時期に思い出すのはマツクイ虫の防除にために行っていた農薬の空中散布です。
自分は20代~40代にマツクイ虫防除に携わっていました。
マツクイ虫というのはアメリカ原産のマツノザイセンチュウという線虫が原因で引き起こされる松の伝染病です。
このマツノザイセンチュウを運ぶのがマツノマダラカミキリで6月の始めから7月の中旬まで飛んでいます。
カミキリが松の新芽を食べる時に線虫が松の樹体内に入って、松が枯れてしまって、そこにカミキリが産卵して次の年、線虫を身体に沢山つけたカミキリが飛び出して被害を拡散していきます。
そこで松に農薬を6月に2回散布してカミキリをやっつけることで松を守ろうとして空中散布を行うのです。
6月の始めの1回目はまだしもこの時期の2回目は梅雨の真っ只中です。
雨で中止を繰り返します。
空中散布ですので風の無い早朝に実施するのですが、この夏至の頃は5時前に日の出を迎えます。
ヘリコプターは日の出以降じゃないと飛んではいけないので、担当者としては次の日の日の出時間を調べて、ヘリ会社に早く飛んでこいと指示したもんです。
地方事務所の担当を5年間して、マツクイ虫の担当を3年間離れたのですが、次は県庁でマツクイムシ防除を担当しろという辞令をもらいました。
県庁でマツクイ虫を担当している時は色々とありました。
家内の切迫流産での入院、息子の出産、家内の大学復帰と退職、倉吉へ引っ越し、
仕事では反対派への対応、県会の質問への対応で朝帰りし、風呂に入って一時微睡んで出勤したこともありました。
空中散布面積を日本一にしてしまったり、上司から事故の無いよう厳しく地方事務所を指導しろときつく言われ、実行して嫌われました。
当時使っていたヘリコプターですが、最初は朝鮮戦争で米軍が偵察機として使っていたレシプロ機でうるさくて機内の会話は怒鳴りあいでした。
その後、ジャットヘリが入ってきて、機内でヘッドホンとマイクで会話できるようになりました。
今となっては懐かしい思い出です。
本日は、夏至、部分日食の日ですが、いろんな記念日もあり、出来事があります。
父の日、スナックの日、世界音楽の日、冷蔵庫の日、世界ALS/MNDデー、がん支え合いの日になっています。
大学生の息子から父の日に「お父さん、父の日おめでとう」というメールを貰い目が点になった思い出もあります。
出来事です。
1467年(応仁元年)、山名宗全、畠山義就らが挙兵して応仁の乱が発生しました。
1582年(天正10年) 、明智光秀が京都の本能寺に織田信長を襲った本能寺の変があり、信長は是非も無いと言って自刃したと伝えられています。
1788年、アメリカ合衆国憲法が発効しています。
1876年、 横須賀造船所で日本初の軍艦「清輝」が竣工しています。
1942年 、アメリカ本土を日本の伊号第二五潜水艦が砲撃。日本軍による数少ないアメリカ本土攻撃の一つで、14cm砲17発を陸軍基地に向けて発砲したとされています。