別子銅山と我が家
本日は世界環境デー、ろうごの日、ロゴマークの日になっています。
本日の出来事を見ると、
1691年に江戸幕府が住友家に別子銅山の採掘を許可しております。
その条件ですが5年間の請負、産出銅の一割3分に相当する銀を幕府納めるというものでした。(その他木炭もありました。)
以降、昭和48年に閉山するまで日本を代表する銅山でした。
我が家は別子銅山との縁が深いものがあります。
私の曾祖父、祖母の父親(写真左)は、住友病院の医師です。
祖父の父親(写真右)は最後は50歳の時、新居浜住友分店に雇われて、日給20銭いただいています。
当時は50歳が定年でしょうか?
定年後の再就職なのかな?
2等宛頭なる職名を貰っています。
曾祖父は明治28年52歳で亡くなりましたが、祖父はその時13歳、15歳年上の兄のお世話になっていましたが15歳から住友鉱山で働き、50前で引退しています。
父は住友の別子銅山の東平の社宅で大正13年に生まれています。
別子銅山の開山、何となく気になります!
