山好きオヤジの独り言

山の思い出や日々の事を書き留めています。

ミグ25戦闘機の函館空港強行着陸事件

1976年の本日、函館空港にソ連の最新鋭戦闘機ミグ25が強行着陸し、搭乗していたベレンコ中尉がアメリカへの亡命を希望する事件がありました。


この日、ソ連防空軍のミグ25戦闘機数機が、ウラジオストクから約300km北東にある基地から訓練目的で離陸し、ベレンコ中尉が操縦する1機が演習空域に向かう途中で突如コースを外れ急激に飛行高度を下げた。


これを日本のレーダーサイトが午後1時10分頃に捉え、領空侵犯の恐れがあるとして、千歳基地のファントムが午後1時20分頃にスクランブル発進しました。


空自は、地上のレーダーと空中のファントムの双方で日本へ向かってくるミグ25を捜索しましたが、地上のレーダーは航空機の超低空飛行には対応できず、ファントムの低空目標を探す能力(ルックダウン能力)も低く、ミグ25は空自に捕捉されないまま函館空港に接近して、上空を3回旋回した後、強行着陸した。


この処理に当たり自衛隊と警察との管轄の問題で混乱し、警察が空港を封鎖して自衛隊は閉め出されてしまいました。


6日当日の警察の取り調べに、ベレンコ中尉はアメリカへの亡命を要望し、「当初千歳空港を目指したが、千歳空港の周辺は曇っていたため断念し函館空港に着陸した」と供述しています。


ベレンコは9日、成田からアメリカに出国し、10日に機体は防衛庁に管轄が移されています。


この時、自衛隊は極度の緊張状態にあったとされています。


冷戦下のソ連の最高機密である機体を日本が保持したことにより、ソ連の特殊部隊の侵入の危険が予想されるので陸海空の自衛隊が臨戦態勢に入っています。


戦車、高射機関砲とともに200人の自衛官が函館空港に配備され、海上自衛隊は護衛艦を配置、航空自衛隊はファントムによる24時間哨戒をおこなったとされています。
(ここまでする以上、公開されていませんが自衛隊の諜報部門は侵攻の情報を得ていたんだと思います。)


9月24日に外交慣例上認められている機体検査のためにミグ25を分解し、アメリカ空軍の大型輸送機で百里基地(茨城県)に移送しています。この際、ファントムが護送してソ連からの撃墜のおそれに備えています。


検査(細部の機能・性能評価)の後、11月15日にソ連に機体を返還しています。


事件終結後、日本国政府は対処に当たった陸自に対して、同事件に関する記録を全て破棄するよう指示しましたが、これに対し当時の陸上幕僚長三好秀男は自らの辞意をもって抗議しています。


ソ連の侵攻の恐れ(その根拠)、それに対応する陸自の速戦体制の情報が闇に葬られた訳ですが、絶対どこかに残っていると思います。


1983年、自衛隊が傍受した大韓航空機撃墜事件の際のソ連軍機の交信記録が国連安保理で公開されました。


この時も政府内では、防衛機密保持の上から、後藤田正晴官房長官や防衛庁の幹部は消極的でしたが、中曽根首相が押し切って公表して、ソ連を追い詰め、ソ連に撃墜を認めさせました。


これだけの諜報能力のある日本の自衛隊です。


さて、本日は、黒の日、生クリームの日、クロスワードの日、妹の日、MBSラジオの日などになっています。


本日は台風が近づき夜半から風が強くなり、暑くなるようです。


被害が少ないことを祈っております。

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