山好きオヤジの独り言

山の思い出や日々の事を書き留めています。

母の日、実母と継母の思い出

本日は母の日。


親不孝者の私にはあまり縁の無い日です。


私には2人の母


実母と継母がいます。


実母は昭和2年1月生まれ95歳


継母は昭和2年3月生まれ、


平成17年没、享年77歳


二人ともお手伝いさんのいた資産家の娘です!


実母は女学校に在学中、


明治神宮外苑での学徒出陣に動員され


観客席を埋めた女学生の一人です


継母は広島の女学校在学中に原爆にあうも


法事で愛媛県に帰省中で難を逃れています


実母は女学校時代に日大生だった父と知り合い


父が益子で濱田庄司先生に弟子入りしていた時に


益子に母が訪ねて来てたようです


東京から愛媛県西条市に嫁に来て


1女4男をもうけています


父の事業が傾き


子どもを連れて東京の実家に帰り


その後、離婚


我々兄弟は父に引き取られました


父と継母との馴れ初めはよく解りませんが


どうも不倫関係だったみたいです


父と実母が別れたので


兵庫の父の社宅にも来てたようで


実母が子どもを連れて父の社宅を訪ねた時に


鉢合わせ


かなりの修羅場だったようで


幼かった私もかすかに覚えがあります


実母は子どもを置いて


一人で東京に戻ったようです


小学校高学年になっていた姉は


継母と衝突することもあったそうで


千葉の親戚に預けられ


その後、実母と一緒に暮らすようになりました


男3人を連れた父は大変だったんでしょう


継母が半月いて、半月松山に帰る生活でした


継母には息子がいて


祖父母に預けていたのが手に負えず


半々の生活になっていました


継母はきれい好き、酒好き、料理好き、医者嫌い


結局、養生せずに早死にしてしまいました


実母とは大学生になって再開し


東京出張の度に会っていました


いい歳になって


食事代を払おうとした時


80代の実母が


私ボーナスこれだけ貰っているのと


額面70万円の小切手を見せられて


遠慮無くご馳走になりました


実母も95歳、足腰が弱ってきて


立てなくなりつつあるようです


コロナ禍の中、


なかなか見舞いも行けず


元気でいてくださいと


願うばかりです。


そんなことを思う母の日の朝です。

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