ソ連軍の千島侵攻
1945年の本日未明、ソ連軍がカムチャッカ半島から
千島列島最北端の占守島に侵攻し日本軍と戦闘になりました。
この方面の指揮官樋口季一郎中将は
ソ連軍の侵攻を聞くと
「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と指令を出した。
戦闘は日本軍優勢に推移するものの、
軍命により21日に日本軍が降伏して停戦が成立、
23日に日本軍は武装解除され、捕虜となった日本兵は
その後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留されました。
この戦いによるソ連軍の被害は甚大で
「イズヴェスチヤ」紙は占守島の戦いは、
満洲、朝鮮における戦闘より、
はるかに損害は甚大であったと記しています。
この戦闘により、北海道への侵攻を目指したソ連軍の目論見
は潰え、択捉島以南の占領は樺太の部隊によるものでした。
この戦闘を指揮した樋口季一郎中将を
ソ連は戦犯とするよう主張しています。
樋口中将は満州において
同盟国ドイツのユダヤ人迫害を非難したほか
ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人が
上海のアメリカ租界への脱出に尽力したことから
在欧米のユダヤ人金融家によるロビー活動など
世界的な規模で樋口救済運動が展開された結果
マッカーサーはソ連からの引き渡し要求を拒否、
樋口の身柄を保護しています。
樋口中将の果敢な決断
占守島守備隊の奮戦が無ければ
北海道東部はソ連の占領を受けていたかもしれません。
日本の岐路になったかもしれない事件です。