山好きオヤジの独り言

山の思い出や日々の事を書き留めています。

鳥取城跡の遺構を巡ってきました

鳥取城は標高263mの久松山の頂上に本丸が築かれた山城で、山の裾野に堀があり、三ノ丸などがありました。
秀吉の鳥取城の兵糧攻めが有名で多数の餓死者が出ました。
山全体が要塞化されたようで今でもその痕跡が見られます。
下の写真が山頂の天守閣跡です。
20年位前に県西部に勤めていた時、県庁で午後の会議がある時は弁当を買って、景色を楽しみながら、お昼をして会議に出ていました。

これから下る稜線です。最後の山は丸山と言い、秀吉に攻められた時に丸山に集積していた兵糧をこの稜線沿いに鳥取城に持ちこんでいましたが、白い塔の北西にあった雁金山城が落とされて、兵糧の持ち込みが途絶えたと聞いています。

山頂の下の段、櫓があった下にあるほら穴、兵糧や武器をいれていたのでしょうか?

昔、鳥取城にもケーブルカーがあり、その跡です。廃墟マニアが喜びそうです。

鳥取城攻めの際、激戦が行われた雁金山城近くに作られた平和祈念塔、全国の市長達の陶製のネームプレートが飾られていられる。

かつて兵糧を運んだ尾根道、所々に砦か見張り台かの跡がある。

最後は狭く急なとこになりました。

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