山好きオヤジの独り言

山の思い出や日々の事を書き留めています。

福岡県のブログ記事

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  • 実家の山菜

    実家の裏山 傾斜の緩い竹林が1000坪ほど 掘っても掘ってもタケノコが出てくる タケノコ農家にもなれるが自家用のみである タラの芽 タラの木もいっぱいある ワラビ、ゼンマイ、フキ 様々な山菜が採れる これも弟が管理してくれるおかげ 手を抜くと あっというまに竹林に飲み込まれてしまう さて、本日はチ... 続きをみる

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  • 帰省しても山登り

    里の裏山は皿倉山 夜景スポットとしても有名です。 車で登山口近くまで送って貰い登山開始 八幡の町は山の上まで家があります 八幡製鉄に通う人達が大通りから歩ける所に家を建てています こんな段々がずーと続いています 頂上からは八幡、戸畑、小倉の町が見えます 遠く関門海峡まで眺望できます 下からケーブル... 続きをみる

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  • 岩割桜

    帰省して又山登り 山の中でであった岩割り桜 近寄ってみます 横から見ると岩が割れているのが解ります。 岩の隙間に種が落ち 根を張り、岩を割ってしまったんでしょうか? 自然の力は偉大ですね! さて、本日は世界結核デー、マネキン記念日などになっています。 世界結核デー 1882年の本日、細菌学者ロベル... 続きをみる

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  • 実家に帰ってきました

    18~20日、北九州の実家に帰ってきました 家業は焼き物屋で弟がやっています。 丁度、個展に持っていく作品を並べているところでした。 登窯もあります。 父の最盛期の頃には2月に1回窯出しをしていました。 磁器作家となった弟は登窯は使わず 電気窯を使っています。 弟は先生と呼ばれるようになっており ... 続きをみる

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  • 引っ越しの記憶

    19回引っ越したと書きました。 1 生まれは愛媛県の砥部 そこで父が営んでいた製陶所が倒産して 2・3 3歳で母の実家のある東京へ   (ここで1度引っ越したときいています) 4 父はレンガ会社に就職し加古川の社宅へ (ここからは断片的に記憶があります。) 5 父の転勤で名古屋に 6 安い事故物件... 続きをみる

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  • 原爆を煙幕で回避しようとした八幡製鉄

    本日は長崎原爆の日 1945年の本日、午前11時02分 長崎に原爆が投下されました。 プルトニウム239を使用し、 広島の原爆の1.5倍の破壊力で 死者・重傷者約15万人の被害でした。 長崎県知事が避難計画を作成しようとして いましたが間に合いませんでした。 この時の原爆の投下第一目標は小倉陸軍造... 続きをみる

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  • 最後の仇討ち事件

    本日はこれを書きたい。 1880年、明治13年 日本で最後の仇討ち事件が起こりました。 父親は秋月藩の執政で尊皇派に夜半に襲撃され、 両親が殺され、3歳の妹も腕に怪我を負いました 藩庁に訴えるも尊皇派が主流を占めており 反対に罪人扱いを受けたという 当時11歳だった犯人は長じて両親の仇討ちを心に秘... 続きをみる

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  • 放浪の人生

    現在の住まいからの景色です。 目の前に田圃があり、藤井正雄記念病院が見えます。 私は生まれが愛媛県の砥部町 父親が製陶所を経営していて 3歳の時、そこが潰れて母に連れられて東京の板橋にいたと聞いています。 父はその後、富士製鉄の関連会社で働いていました。 兵庫県に社宅があり、そこで幼少期を過ごし ... 続きをみる

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  • 鉄の都、八幡

    本日は、1901年に八幡製鉄所の高炉の火入れが行われた日です。 日清戦争の賠償金によって、1897年から官営の製鉄所の建設が着工され、 富国強兵の一翼を担った工場です。 太平洋戦争前は、国内の製鉄料の半分をまかなっていました。 自分は小学校5年生の3学期から高校の3年生まで、7年余を八幡の地で過ご... 続きをみる

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  • ラグビーの思い出

    高校生の頃、体育の授業はかなりの確率でラグビーであった。 ジャージは泥々になり身体も痛かった。 モールで揉まれてゴールポストにぶつかり脳震盪を起こした事も。 うちの高校のラグビー部は土曜日によく朝鮮学校とうちのグランドで練習試合をしていた。 その時、チマチョゴリ制服の女の子達がリヤカーを引いてきて... 続きをみる

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